どちて女。


昨日のカウンセリングはどちて坊や(一休さん参照)よろしく、先生に
質問ばかりしてしまった。
みんなこんな気持ちを我慢して生きているのですか?
なにも成しえない自分のような人間が生きている意味が解りません。
などなどだ。


先生は私がもう一度絵を真剣にやればいいと言うが、私の中の気持ちではなく
先生はゴールをもう決めていて私をそちらに誘導しようとしている気がしてきて、
なんだか不信感がわいた。
色々話をしたが、途中から私の心には「もう、いいや」という
諦念というか投げやりな気持ちが沸いてきた。
なので先生の話を素直な気持ちでは聞けなくなっていた。
カウンセリングが済んで駐車場へ向かう時「もう、どうだっていいや」と
自分でもビックリするくらい大きな声でつぶやいていた。


いま松浦弥太郎さんを読んでいる。松浦さんのいう事は真っ当だ。
真っ当すぎて私のような人間には「ケッ」とひねくれたくなるところがある。
光がまっすぐ過ぎて影に逃げ込みたくなるのだ。
私だって、頑張ったけど気がつけば信じられる家族も友人もいない。一生懸命考えて
本もたくさん読んで、酷い目に合い続けて、それでも捻くれないで頑張ってきたけれど、
何度もトドメをさされてきた。結論は「自分は生きている価値がない」から神様が
こういった目にあわせるのだろうと思った。
松浦さんは家庭を築き、幼い頃よい出会いをたくさんして、愛情に満ち足りた人
だから、こんなこと書けるのだろう。私とは違う人だろうと思っていたが
二冊目に読んだ「軽くなる生き方」に、彼がうつ病で眠れず電車にも乗れず
日記を必死に書き「誰か助けて」と書き綴っていたこと、そして「誰も助けてくれない」と
内心解っていたことを知った。まったく今の私と似た時期を過ごしていたのだ。
以前の私は孤独の影の強い人に共感を持っていたが、その人が家庭を築いていると知ると、
なんだか一瞬にして裏切られた気持ちになった。でも多くの人は家庭を築いていても寂しいようだ。


昨日先生にすべては自分の中の問題なら、とても寂しい。テレビなどで友情の話を読むとうらやましく
なると言ったら、カウンセリングの先生はそういった本や映画を見ても「つくりもの」だと思うそうだ。
ええっ!そうなの???でも先生は家庭も築いて玄関にはバギーが置いてある。それで私は内心
「先生には私の気持ちは理解できない」と思っている。神様にキスされた人に私の気持ちなんて永遠に
解りっこないのだ。しかし先生をみていると私の気持ちなんか理解しようと想像する気も全くなさそうだ。


いや〜、ひねくれている中年って困ったもんですね。自分。
ケッ!!!

馬鹿でなれず、利口でなれず、中途半端じゃなおなれず。

今年三回目になるが泉谷閑示氏の「普通がいいという病」を読み返す。
人間とはつくづく忘却の生き物だと思う。解決策が沢山あった。
セラピストさんにも話したのだが、私は自分の感受性をうとましく
思っていた。泣き虫だったので男子どもからは格好の餌食であったし、
はしゃぎ過ぎたり、落ち込み過ぎたりと振り幅が激しかった。
家族や知人の中には、そういった私の様子は異様にうつっていたようだ。
「変わっている」と何回言われたかわからない。その度に私は線を引かれた
ような気持ちになり、自分を表現するのが負担になった。特に会社に入って
からはなるべく自分を出さない様にとしてきた。芸術家程の感受性ではなく、
かといって他の人よりちょっと感じやすい(打たれ弱い)自分に、この半端者!
と毒づいていた。カウンセラーさんにも「感じ過ぎるのを何とかしたい」と相談した。


しかし、泉谷先生によると感受性は決して無くならないのだそうだ。
20歳の頃早く中年になって鈍感に(強く)なりたいと思っていたが、20代と今を比べて
みても、慣れる事で泣く事は減ったが、やはり根底はそんなに変っていない。
とても感銘したのだが、人は普通「繊細で弱い」と「鈍感で強い」を不分化と考えがちだが
「繊細で強く」なればいいと提言されていた。「繊細で強い」なんて盲点でした。どうすれば
そうなれるかというと、持て余している感受性に磨きをかけること。

必ずどんな人にもその人なりの敏感なアンテナというものがどこかにありますが、その敏感さ
ゆえにもろくなってしまったり、弱くなってしまったりしていることがよくあります。本人
自身がそのアンテナを「みんなと違う感覚だからよくないものだ」と思ってしますとそれを
ひた隠しにして、使わないようにしてしまいます。使わないから磨きがかからない。しかし
そのアンテナが無くなることはありませんから、結果として中途半端に敏感で細い状態にあり、
その人自体が弱くなってしまいます。

とのこと。今まで全否定していた部分を認めなければならないのだ。磨きをかけるまでは理解
できるが、「強くなる」がどうしていいか解らないけれど、感受性に磨きをかければ、
次のステップが見えてくるのか???

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)